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こんにちは、エッセイ漫画家&ブロガーのカナメキヌコ(@kinucomoro)です。
脱喪とは「喪女(もてない女)を脱出すること」を指しますが、元喪女の私の場合、その脱喪にはある程度の覚悟がいりました。
というのも、自分に自信がなく、本当にこんな私が男性といい雰囲気になってしまって良いのだろうかという葛藤があったためです。
今回の記事では、自身の喪女卒業に際して必要となった、脱喪する勇気について語ります。
はじめに
喪女であった頃、どんなに足掻いても思いを受け止めてすらもらえなかったことから、自己肯定感がかなり低い状態でした。
・私なんかが男に媚びたら気持ち悪い。
・好きな男ができても、他の女にとられる気しかしない。
・どうせ両思いになんかなれない。
・恋愛にがっついている自分が恥ずかしい。
・恋愛が怖い。
このように、恋をする自分を否定する思いが、常に心のどこかにありました。
好きな人ができた状況下でも、「恋愛をしたこともない自分が相手を好きでいていいのか」といった、自分を抑制するような不安は消えることはありませんでした。
そんなある時、これらの自己否定に悩み続けることが苦痛となり、無理やりにでも全てを肯定するように意識を変えてみました。
すると、心が軽くなったどころか自由奔放に行動することができるようになり、自然体の自分でいられるようになったのです。
自然体でいられると今度は気を張る必要もなくなり、次第に相手との距離が近付いていきました。
自分を卑下することをやめたというだけの話ですが、これらは喪女卒業に向けて必要なステップ、脱喪するために必要な幸せになる勇気なのであったと今更ながらに思います。
脱喪する勇気
では、脱喪する勇気とは具体的に何か。
それは、一言で表すと「自分にも恋愛する資格があることを理解する」ということです。
この項では、脱喪に際して必要な考え方を書き連ねます。
他人に触れたいと願ってもいい
他人に触れることはおろか、自分が他人に触れたいと思うことすらおこがましいと思い込んでいる方は多いのではないでしょうか。
過去の私自身は、まさにそんな考えの持ち主でした。
幼少期から過剰なほどの性欲を持っていましたが、自分自身が喪女であると自覚するまでは昇華することで欲を満たしていました。
それが、喪女であると自覚し、それなのに男性が恋愛対象であると気づいた途端、自分が間違っているのだと思うようになりました。
これまで二次元のみで満足してきた私が、三次元の男性に触れたいと思うことすらも気持ち悪く感じました。
思い返せば、他人に触れたい、触れられたいという思いは何らおかしくもない、ただ「寂しい」ことの裏返しでした。
よって、他人に触れたいと願うことは正常なことであり、否定するべき感情ではありません。
誰にだって性欲はある
他人に触れたいことと通ずるものがありますが、性欲も正常な欲求です。
彼氏もできたことがないのに性欲があるなんて汚らしい、例えそんなことを言う人がいたとしても、その人にも同様に性欲はあるのです。
どれだけセックスに夢を見ていても、どれだけイケメンに抱かれたいと思ってもいいのです。
そのままの、欲望に忠実な自分でいることが「自分らしさ」です。
人前で笑っていい
昔から自分の笑顔が嫌いで、まともな笑顔を作れた経験がありませんでした。
どんなときでも控えめの笑い方をするか口元を隠して笑う、それが私でした。
が、笑わない自分は表情と自分の欲求を抑えつけているということに気付きました。
思い切り笑いたい場面でもそのように笑うものですから、他の人間と比較すると違和感を覚えます。
「人に不細工な笑顔を晒したくない」という思いは、自分の笑顔どころか自分の感情すらも殺してしまっているのでした。
以前ガールズバーで働いた際、表情が硬いと評価されたことがあり、ようやくそこで改善に至りましたが、あのときの経験がなければ一生人前で笑えることもなかったように思います。
もしあなたが顔に自信がなくても、笑顔に自信がなくても、それが愛嬌です。
誰でも、人前で笑っていいのです。
可愛くなってもいい
これまでの人生の大半を個性的な服装で過ごしてきたせいで、恋活を進めるにつれて男ウケを意識していく自分に嫌悪感がありました。
言うなれば、可愛くなっていく自分への嫌悪感です。
これに関しても無意味な思い込みであり、可愛くなることには何の問題もありません。
流行のメイクをしてみても、身の丈に会わないバッグを持ってみても、肌が見える水着を着てみても、男ウケのいい服を着ても、モテテクを実行してみても、自分がしたいことであればそこに文句をつける理由はありません。
難しいことではありますが、可愛くなる自分への抵抗を、可愛くなる自分への賞賛に変えてみましょう。
頑張るあなたは、可愛いです。
甘える自分は気持ち悪くない
「甘える自分を想像したら気持ち悪すぎる。」
これは脱喪直前にかなり悩んだ点です。
こんな自分が脱喪できたとして、男に媚びていいのか、甘えたところで気持ち悪がられて終わりではないのか、という不安は日に日に増大していました。
ようやく彼氏ができるというときになって、やっとその気持ちも和らぎましたが、今でもその不安に襲われることがあります。
今思えば、小学生時代に嫌いなクラスメイトに執拗にボディタッチされて媚びられたのがきっとこの嫌悪感の元でした。
ですがそれは、あくまで嫌いなクラスメイトからの行為であったため、嫌な気分になっていたのでした。
同じように悩むあなたにも、いずれ脱喪する日が来ます。
彼氏彼女の関係へと進んだら、それはお互いに嫌悪感がない、好き合っている状態です。
媚びへつらうのとは違う、素直な愛情や甘えは、相手を安心させます。
甘えることは、関係が進んで信頼感が生まれて初めてあらわしていけばいいので、将来の自分に臆すことなく恋愛をしていって欲しいです。
少し先の話かもしれませんが、今のうちはそのことだけでも心に留めておいてもらえれば幸いです。
誰にでも恋愛する資格がある
これらの感情に何が共通するかというと、「喪女の自分には恋愛なんかしちゃいけないのではないか」という杞憂です。
私たちが恋愛することに対して、誰も文句なんてつけやしないのにそれを気にしてしまうのは、私たちが繊細で優しい感性を持ち合わせているからです。
誰にでも、恋愛する資格はあります。
恋愛したいと願うあなたこそ、一歩踏み出せば素敵な恋愛と出会えるはずです。
あとがき
脱喪する勇気、いかがでしたか。
思い当たる節のあった方には、「自分は幸せになれるはずはない、だから幸せになってはいけない、幸せを夢見ることすら怖い」という呪縛がかかっているのではないでしょうか。
自己肯定感が低いだけであればいいですが、恋愛をする自分の否定までしてしまうと、その後の人生まで否定されてしまいます。
自分を肯定することと自分を正当化することは、恋愛テクニック以上に大切なものです。
どうか、少しだけでもいいので、自分を大切にしてください。
自分の価値観のみで自分を殺す必要はありません。
そして、時間がかかってもいいので、いつか納得のいく人生に辿り着いてください。
悩む方が少しでも減ってほしいという思いから、今回筆を執りました。