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こんにちは、エッセイ漫画家&ブロガーのカナメキヌコ(@kinucomoro)です。
私はほんの3年前までは、交際・告白・セックスのいずれも経験のない喪女でした。
・どうしても彼氏ができないけど、その原因が分からない!
・出会いもないし、もう喪女を脱出できる気がしない…
当時はこのような悩みを抱えていましたが、行動を起こすことで徐々に脱喪へ近づき、喪女を卒業することができました。
同じような悩みを抱える方に役立つ内容となっていますので、参考にして頂ければ幸いです。
はじめに
私は22歳で脱喪しました。
19歳くらいから処女コンプレックスをこじらせて恋活に興味を持つも、恋に興味のある自分への嫌悪感が強く、行動には移せませんでした。
本腰を入れて恋活していた期間は、2016年末~2017年末(21歳~22歳)の約1年間です。
・彼氏いない歴=年齢
・女子高育ちで男友達0人
・恋愛対象は男だけど男嫌い
・男性恐怖症
・性被害の経験あり
・軽度のコミュ障
・処女コンプレックス
・オタク(腐女子)
・元同性愛者
私は男性恐怖症であると同時に男性への嫌悪感も持っていたため、学校・職場含め、男性とはまともに話したことがありませんでした。
普段は創作活動を楽しむオタクで、二ヶ月に一度は同人誌即売会へサークル参加していました。
同性愛者と書きましたが、女子高生時代にクラスメイトの女の子に片思いをしただけで、それ以上のことはありません。
私が脱喪するまでにしたこと
東京で一人暮らしを始めた
私は地方出身ですが、都内の会社に勤めてからは東京での一人暮らしを始めました。
なぜ東京を選んだかというと「都会に憧れていた」だけの理由ですが、この判断は脱喪への大きなきっかけになりました。
東京は流行や文化が身近にあり、人との出会いも多く、価値観がアップデートされる機会に恵まれていました。
22歳の頃、地元の同級生たちは軒並み結婚・出産をしていました。
そんな状況に置かれていたので、
- 男と幸せになれるのが普通(男性が怖いのは異常)
- 恋人がいるのが普通(恋人ができないのは普通ではない)
- 結婚できるのが普通(結婚できないのは普通ではない)
- 妊娠出産できるのが普通(妊娠以前にセックスが怖いのはおかしい)
という勝手な思い込みをしてしまっていました。
しかし都会の同い年はほぼ結婚していないどころか、不特定多数と遊んでいる人も多くいます。
「喪女をどうにかしたいから、婚活して結婚しよう!」
と焦るのではなく、
「喪女をどうにかしたいから、まずは男に慣れることから始めよう!」
と段階を踏んでいこうと思えたのは、都会の人の多様性を見て、視野を広げられたためです。
もし今も地元で暮らしていたら、凝り固まった価値観を捨てられず、友人が結婚していくのを僻みながらも何の行動もできていなかったと思います。
男性との会話に慣れた
まともに男性と話したことのない私は、まずは男と緊張せずに話せるようになろうと思い、ガールズバーでのバイトを始めました。
男性恐怖症の喪女がガールズバーで働いてみた話
ガールズバーのお客さんは30代~50代がメインですが、稀に同年代のお客さんも来ます。
30代~50代で話す練習をして同年代でアポの予行演習、というイメージで仕事をしていました。
マッチングアプリに登録した
田舎にいた頃の価値観で「自然に出会った人以外と恋愛するなんておかしい」と思っていた私ですが、東京の人に感化されてからはマッチングアプリに登録しました。
はじめのうちは強い嫌悪感があったものの、実際に会ってみると、自然な出会いには変わりないことに気付きました。
場所がネットというだけで、出会い、やり取りを重ねて仲良くなるという過程は全く同じです。
当時はマッチングアプリといえばどれも同じでしたが、今では目的別に男性と出会えるサービスや、街中ですれ違った相手と出会えるアプリも人気があります。
これまでに彼氏が欲しいと思ったときにとれる行動は、街コンに参加すること一択でした。
恋活の手段が増えたことで、男性との接点も倍以上に増えました。
絶対に脱喪できる!元喪女が教える、恋活マインドの作り方
アポを繰り返した
ガールズバーでのバイトと並行して、マッチングアプリでマッチした男性とのアポを繰り返しました。
「出会った人の彼女になれるか」ではなく、アポの雰囲気に慣れ、恋活市場の男性と話せるようになることが先決でした。
私は上京してガールズバーで働く前にも、アポを組んだことがあります。
しかし、そのときは上手く話せず、次のアポの誘いどころかLINEも来ることはありませんでした。
そんな私が一転、男性との会話に慣れれば慣れるほど、次のアポに繋がる確率も高まっていきました。
相席ラウンジへ通った
ガールズバーでの会話に慣れ、難なくアポを組めるようになった頃、相席ラウンジへ通いはじめました。
なぜ相席屋でないのか?というと、相席屋は2人以上でないと入れないためです。(友達がいません…)
1人で相席ラウンジへ行くとカウンター席へ案内されることが多く、強制的に男性との距離が近くなります。
ガールズバーはカウンター越しでの会話、アポは机越しでもしくは歩きながらの会話となるため、ここまで接近することはありません。
相席ラウンジで隣に座って会話を繰り返したことで、男性に近付いても過度に緊張することはなくなりました。
また、カウンターではお互いの距離が近い分、体を触ろうとする男性は多いです。
嫌なものは嫌と伝えるようにしたことで、断る力を身につけるきっかけにもなりました。
クラブへ通った
相席ラウンジと並行して、ナイトクラブにも通いました。
もともと大音量で音楽を聞くのが好きで一人で行っていたクラブですが、男に慣れてからは音楽に加えて出会いも楽しめるように変化していきました。
これまでは威圧感むき出しで一人でいたものの、少し隙を見せると、20代後半~30代くらいの男性に声をかけられるようになりました。
そこで酒を奢ってもらい、少し話して解散する…という行為を繰り返していました。
モテたことのない身としては、これだけでも「モテた」と勘違いし、舞い上がっていました。
しかし、そんな行動をとっていたある日、酔った勢いでファーストキスを奪われました。
そこからは箍が外れたように、「声をかけられる→酒を奢ってもらう→会話する→気に入ればキス」という日々が続きました。
1回の参加で1人という訳ではなく、1日に3人以上とキスをしていたこともあります。
今思うと無茶で危険、そして最低な行動ですが、これらのことを学ぶ機会になりました。
- 自分でも男遊びができるということ
- 男との距離を詰める方法
- キスをする楽しさ
- 誘いの流し方・断り方
ちなみに当時通っていたのは、音箱と呼ばれるクラブです。
音箱の対義語としてナンパ箱と呼ばれるクラブがありますが、そこではナンパ待ち(お持ち帰り目的)の可愛い女の子が多く、私が行っても話しかけられることはありませんでした。
「キスはどれだけしてもいいけど、絶対にお持ち帰りはされない」という意思があったので、ナンパ箱の色と合わなかったことも原因のひとつです。
自分の恋愛対象を把握した
ここまでアプリ・相席ラウンジ・クラブなどで出会いを作り続けてきた私ですが、どれだけ出会ってみても、気になる男性ができることはありませんでした。
こうも気になる男性ができないと、一時期は「本当の恋愛対象はやっぱり男じゃないのか?」と思うこともありました。
ですがやはり彼氏が欲しい気持ちは捨てられず、女性のことも好きにはなれません。
そこで一度、自分の恋愛対象になり得る男性の要素を挙げてみることにしました。
考えた末に、私は黒髪で童顔な年下男子が好きだと気づくことができました。
黒髪と童顔は単純な好みですが、年下という要素は
・甘えてくる年上は生理的に受け付けない
・そもそも男性恐怖症なんだから、年上の男は怖い
と思った末に導き出した要素です。
今思えば、恋愛対象を把握することがなければ、脱喪もできていなかったと思います。
恋愛対象を知ったことにより、これらの変化がありました。
- 見た目を重視するようになった(妥協しなくなった)
- アプリでの男性ユーザーの表示を年下のみに設定した
- 男性の参加条件が22歳以上の街コンに行かなくなった
- 男性と出会ったらまず年齢を聞くようになった
- クラブでの年上からの誘いに応じなくなった
- 相席ラウンジに行かなくなった(男性客の9割以上が年上のため)
年下の童顔好きを自覚してからは、年上の男性との出会いや会話・老け顔の男性との出会いは、徹底的に排除しました。
やりすぎかな?と思うくらいに的を絞ってみたら、好みのタイプの男子を見つけられる目に変わっていきました。
今までは「見ようとしていなかった」ので、存在にも気付けていなかったのかと思います。
これまでのマッチングアプリの使い方(いいねをくれた男性ユーザーを「まあ平気」「無理」という基準で振り分けるだけ)が、いかに時間の無駄だったかを知る機会になりました。
男の知り合いを作った
クラブで遊ぶ頻度が週2日になった頃、どうにか安く入場できる手段はないかと探したところ、DJのゲスト枠で入ると安いことを知りました。
初めてゲストを使ったDJと会場で顔を合わせたところ、他のDJに紹介され、次のイベントで紹介されたDJのゲストを使ったらまた紹介されて…と、芋づる式にDJの知り合いが増えていきました。
DJ側からしたら、一参加者の私はしょせん知り合い程度です。
しかしその頃にはもう「男と気軽に話せる自分」になっていたため、積極的に話しかけに行き、親密度を上げていきました。
親密度が上がればまた他のDJを紹介され、ひとつのイベントのDJほぼ全員と知り合いという状況も生まれました。
慣れない都会で一人暮らししていた私にとって、行けば知り合いがいる場所ができたことは、大きな支えになりました。
処女を捨てた
私にとっての最大のコンプレックスは、自分が処女であることでした。
なぜ自分が処女コンプレックスなのかと言うと、人並み以上に性に興味はあるのに行動に移せない自分への嫌悪感があるためです。
私は趣味の面ではどんなことにも物怖じせず、大掛かりなことでもやり遂げていました。
それが男女関係となった途端に嫌悪感と恐怖心が勝ってしまう自分が、格好悪くて嫌いだったのかもしれません。
処女コンプレックスであることを友人に告白すると、決まって「じゃあ適当に捨てちゃえば?」と言われました。
このときは「なんて無責任なことを言うんだ」と落ち込んでいましたが、いざ処女を捨ててみたら、かなり気持ちが楽になったのでした。
男性恐怖症の喪女だけどTinderで処女を捨てたら楽になった
確かに無責任な発言ではあるものの、適当に処女を捨てたことは私にとっての最適解でした。
ビッチになった
処女を捨てた私は、ビッチになりました。
これまでにできた男友達や、新しくアプリやクラブで出会った男と寝る日々が続きました。
一度きりの相手もいれば3回以上相手をしてくれる顔の良いセフレもいて、自分に自信がついていきました。
とは言ってもやはり虚しくはなるため、その場しのぎの行動です。
人を好きになれた
ビッチを続けていくと、相手に対しての情が湧き、相手を好きな気がしてきます。
経験人数は4ヶ月で7人まで増えましたが、その半数には恋愛感情を抱いていました。
本当に好きなのかと聞かれたらそうではなく、「『好きだからヤった』と正当化するための感情」というのが本音ではあります。
しかし、これまで人を好きになる方法すら忘れていた私にとって、人を好きになる感覚を取り戻せたことは大きな収穫でした。
垢抜けた
セックスまで持ち込めても恋愛対象になれないことに悩み始めた頃、そもそも自分の見た目が垢抜けていないことに気付きました。
この頃の私は自分のパーソナルカラーも知ろうとしないまま、好きな色を使っていました。
メイクも全て自己流で、目の下は赤くアイラインとマスカラは濃い目、チークとシャドウの色の相性は悪いという惨状でした。
変わるきっかけとなったのは、それなりに好意を持っていたセフレのSNSを見たところ、可愛い彼女との写真ばかり上げていたことです。
彼女がいたこと以上に、私とは正反対の綺麗な女の子であったことがショックで、自分も綺麗になろうと決意しました。
男性恐怖症のこじらせ喪女が、22歳で脱喪するまでに経験したすべて
自然体になった
ここまでに紹介した全てを経験した頃には、もう以前の「男嫌いのこじらせ喪女」の私はいませんでした。
男性だからといって偏見を抱くこともなく、無理に恋愛対象になろうとして突拍子もない行動をとることもなく、誰に対しても緊張せずに話せる自分になっていました。
男性と自然体で話せるようになったことで、
- ガールズバーの客から友達へ
- 知り合いから友達へ
- 友達からより親密な関係へ
という変化が起こり始めました。
サシ飲みできるまで関係が深まれば、もう既に好意は持たれています。
垢抜けて、行動し続けたら脱喪できた
男性恐怖症で喪女だった私は、脱喪に向けて行動を起こしても、なかなか成果は得られませんでした。
しかし心身ともに垢抜けたところ、このような変化が起こりました。
・ガールズバーの客(20代)にデートに誘われる
・ガールズバーの客(40代)に告白される
・年下の彼氏ができる(1ヶ月)
どれも中途半端な要素ではありますが、脱喪には間違いありません。
喪女をどうにかしたいと思うのなら、まずは垢抜けて、自身を持って恋活できる自分を目指しましょう。
また、私の経験をたどる必要はありませんが、アポ、街コン、相席ラウンジ、クラブなどの出会いの場へ足を運びひた向きに脱喪に向けて動くことも大切です。
あなたの恋活が上手くいくよう、応援しています!
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こちらも併せてご覧頂ければ幸いです。